オウム真理教  統一教会とロシア そして日本の政治家・・・

 

地下鉄サリン事件、松本サリン事件、坂本弁護士一家殺人事件、滝本弁護士サリン襲撃事件、保谷清志監禁致死事件、田口修二さんリンチ殺害事件などの犯罪行為により、13人の死刑囚のうち、2018年7月6日に、7人の死刑が執行されました。

 

麻原彰晃(あさはら・しょうこう)63歳

本名:松本智津夫(まつもと ちづお)

生年月日: 1955年3月2日
生まれ: 熊本県 八代市

地下鉄サリン事件、松本サリン事件、坂本弁護士一家殺人事件、滝本弁護士サリン襲撃事件、保谷清志監禁致死事件、田口修二さんリンチ殺害事件すべての事件に関わり、指示を出していた主犯。

生い立ち・・・熊本県八代市高植本町(たかうえほんまち)で生誕。9人きょうだいの4番目に生まれた。(家は両親と男5人、女2人の7人きょうだい。下から2番目にあたる四男として育った。ほかに姉と弟が1人ずついたが、ともに1歳でこの世を去っている。)先天性緑内障で左目は見えなかったが、右目は弱視でわずかに視力があったようです。

 

小学校の途中で、普通の公立小学校から、盲学校に転校したようです。盲学校時代は、弱いものいじめの典型で、下級生や同級生の全盲の児童の、寄宿舎から配られるお菓子を取り上げたり、同級生同士や下級生同士で闘わせたり、「相手を思い切り殴れ」と、同級生を恫喝し殴ったりしていたそうです。また、小学校5年生のころ、麻原は児童会選挙で会長に立候補した際にも、他の児童から取り上げたお菓子を配り、「選挙に立候補するので、よろしお願いします」と選挙活動をしていたそうです。。盲学校に転校するまでは、大人しく、女子などと、ままごとをしたりしていたそうです。盲学校を卒業後、担任の教師の助言を聞かず、「熊本大学なんておかしくて行かれん」などと言い、東京大学早稲田大学を目指し、22歳の頃、代々木ゼミナールに通うため、上京します。

代々木ゼミナール」に通い始めてまもなく、通学電車の中で同じ代ゼミに通う女性と知り合った。彼女との間に子どもができると、東大受験を諦めて、78年1月に結婚した。

 新婚の二人は千葉県船橋市に「松本鍼灸院」を開いた。同年7月には長女が誕生。9月には鍼灸院を閉じ、市内の別の場所に診療室兼漢方薬局の「亜細亜堂」を開いた。

 麻原の著書『超能力「秘密の開発法」』によると、麻原が宗教に目覚めたのは、このころだった。鍼灸治療で完治したはずの患者が、元の生活に戻ると、すぐに再発してしまう。その様子を見て、「自分は無駄なことをしているのではないか」という疑問がわいたのがきっかけだったという。

<そのとき初めてわたしは、立ち止まって考えてみたのである。自分は、何をするために行きているのだろうか、と、この"無常感"を乗り越えるためには、何が必要なのだろうか、と>

 こうして麻原は運命学や漢方、仙道(仙人の術)に熱中するようになった。

 亜細亜堂は繁盛したが、80年7月、健康保険薬剤不正請求で670万円を追徴され、閉店した。近所の医者から白紙の処方箋を入手し、適当な金額を記入しては、健康保険組合などに調剤報酬などを不正に請求していたのだ。

 閉店の1カ月後、麻原は阿含宗(あごんしゅう)に入信。さらにヨガや「肉体修行を通じて個人的な解脱を目指す」小乗仏教的世界にのめり込みました。

 81年2月には「BMA薬局」を開業したが、翌82年7月にニセ薬を売った薬事法違反容疑で逮捕された。煎じたミカンの皮などから取り出したエキスを「万能薬」と称し、「リューマチ、神経痛、腰痛が30分で消える」などという謳い文句で都内の高級ホテルの一室に人を集めて10万円近く販売。売上は1千万円以上に膨らんだ。麻原は略式起訴されて罰金20万円を支払い、再び店を閉じました。

 その後、1984年にオウム真理教を創設しました。

物欲に対する異常な強さと、虚栄心と自己顕示欲の異常な強さを持っていたと言えます。ちなみに、西荻窪に住んでいたこともあり、西荻窪周辺はその昔、隕石が落下し、そのことが原因で、窪地ができたことで、スピリチュアルな匂いが漂う街です。今でも、オウム真理教の後継団体の"アレフ"の道場があるらしいです。ちなみに、娘さんが、荻窪小学校に一時期通っていたとか・・・

 

 

 

 

 

井上嘉浩(いのうえ・よしひろ)48歳

 

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井上 嘉浩(いのうえ よしひろ)

生年月日:1969年12月28日

出身地:京都府京都市右京区出身。

ホーリーネームはアーナンダ。教団内でのステージは正悟師。

洛南高校出身者ですが、高校2年生のころから、武道、ヨーガ、阿含宗を経て高校2年の頃(1986年)オウム神仙の会のセミナーに参加し麻原彰晃の姿に感銘を覚え、麻原を理想的な親のように感じたそうです。ちなみに、大学受験では、日本文化大学の法学部に合格しますが、麻原彰晃に脅され、母親とともに、入学直後に、出家し、入信し、そして大学を中退しています。

 もともとは、割と良い人だったそうで、犬の殺処分問題など幼少期から関心があったそうです。

 スパイ活動する諜報省のトップを務め、教団の非合法活動を裏から取り仕切った。地下鉄サリン事件では実行犯チームの現場指揮を取りました。

遠藤誠一(えんどう・せいいち)58歳

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 生年月日:1960年6月5日

 

北海道札幌北高等学校卒業。背が低く、左耳の難聴があったが、体操、野球、サッカー、スキーなどをやっていた。北海道札幌北高等学校では体操部に所属。2年のとき愛犬が病気になり、獣医に治療してもらったことから獣医を志し、帯広畜産大学畜産学部獣医学科に進学したが、分子生物学に関心を持ったことを契機に遺伝子工学の研究をはじめる。この頃、父を癌で亡くしたこと、獣医は飼い主の依頼があれば犬猫を毒殺することもあると知ったことから、将来の目標を獣医から研究者に変えた

1986年、同大学院畜産学研究科獣医学専攻修了と同時に獣医師の資格を取得。修士論文は「各種のアデノウイルスDNAの牛腎臓株の核I因子の結合に関する研究」[4]。京都大学大学院医学研究科博士課程に進学。当時エイズウイルスが話題になったことから遺伝子工学、ウイルス学を専攻。



京都大学大学院でエイズウイルスの遺伝子解析をしていたが、1987年に入信。「第1厚生省大臣」として、ボツリヌス菌炭疽菌など細菌兵器を研究し、サリンの製造でも中心的な役割を果たした。麻原死刑囚の四女の「許嫁(いいなずけ)」だったといます。

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土谷正実(つちや・まさみ)53歳

生年月日:1965年1月6日

東京都町田市で生誕 都立狛江高等学校→筑波大学第二学群農林学類へ進学→同大学院化学研究科→博士課程に進んだのち中退

(炭化水素の光化学反応を研究。修士論文は「片道異性化に関する研究」であった)

人間が一生のうちに脳細胞の数%しか使わずに死んでいくことを知る。「なんて非効率なんだ、これを100%近くまで発揮するものがあるはずだ」と考えていた時にテレビ番組でヨーガを知り、漠然とした興味を抱く、その後、筑波大学においての失恋、大学進学後に、同乗していた車が交通事故を起こして鞭打ち症を患い、医師の勧めで水戸市内のヨーガ教室へ通いはじめる。同年4月22日、友人から麻原彰晃説法会に誘われたことなどが様々なきっかけがあり、ついにオウム真理教へ入信



筑波大学大学院で有機物理化学を専攻。1991年に出家した。「第2厚生省大臣」として、同じ化学者の遠藤死刑囚と麻原代表の寵愛を競いあった。93年にサリンの合成に成功。94年から95年にかけて起きた松本・地下鉄両サリン事件で使われたサリンと、信徒などへの3件の襲撃事件で使われたVXガスを製造した。

 

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中川智正(なかがわ・ともまさ)55歳

生年月日:1962年10月25日

1978年3月岡山大学教育学部附属中学校

1981年3月岡山県立岡山朝日高等学校卒業。

1982年に京都府立医科大学医学部医学科に進学
京都府立医科大学を卒業後、1988年に医師免許を取得した。研修医として1年ほど勤めたが、89年に退職して、オウム真理教付属病院の顧問になりました。出家の約2カ月後、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯に選ばれた。その後、麻原死刑囚の主治医として、彼の家族の世話をする法皇内庁の長官となった。同時に松本・地下鉄両サリン事件など教団が犯した凶悪事件のほとんどに関わりました

 

新実智光(にいみ・ともみつ)54歳

生年月日:1964年3月9日

出身地:愛知県岡崎市

最終学歴:愛知学院大学

高校時代より新興宗教に関心を持ち始めます。生まれつきあった口唇の傷(口唇口蓋裂)に苦しみ、いじめに遭ったこと原因で、その傷や病気が治したく、新興宗教に関心を持ち始めました。
オウム真理教が起こした7件の殺人事件すべてにかかわり、計26人を殺害したとして殺人などの罪に問われた。この人数は麻原死刑囚の27人に次ぐ多さ。最古参信徒の一人。事件について裁判では「グル(麻原死刑囚)の指示であれば、人を殺すことに喜びを感ずるようでなければならない」と公言していたそうです。

早川紀代秀(はやかわ・きよひで)68歳

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1949年兵庫県生まれ。神戸大学農学部卒。大阪府立大学大学院緑地計画工学コース修士課程修了
大手ゼネコンなどに務めていたが、1986年に入信した。麻原死刑囚の著書を読んだことがきっかけだった。翌87年には全財産を寄付して出家。教団内ではゼネコンの勤務経験を活かして土地買収などの先頭に立ち、「建設省大臣」となる。教団の武装化を進め、サリンプラントの建設を指揮した。信徒の殺害事件や、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯の一人として関与しました。

 

 政治家の息子も関与?

幸一は自著『ハマコーの非常事態宣言』の中で、石原が、山口敏夫と共にオウム真理教への資金提供を行っていたと名指しで批判していますし、石原慎太郎の四男の石原延啓オウム真理教の宗教画を描いていた人物なのです。確かに、石原慎太郎は、任期途中で辞任しました。1993年頃の話だったと思います。最後の衆議院議員選挙は1993年 6月ですから、任期を2年ぐらい残していた段階で、実際には1996年3月に国会が解散されていますが、任期途中で辞任した理由が、上記のような理由とも囁かれています。そのことが原因か、警察もオウム真理教内にスパイを送り込んだり、内定はしていたものの、捜査が、地下鉄のサリンがばら撒かれていた後になってしまいました。

 

統一教会との付き合い・・・

早川紀代秀は、統一教会の出身です。逮捕された時点でも、統一教会系の企業の社長の職にありました。また、早川紀代秀は、オウム真理教幹部の村井秀夫(1995年4月23日に暗殺されすでに死亡)とも、神戸製鋼時代の銅器でした。少なからずとも、統一協会ともなんらかの付き合いがあった可能性があります。また、統一教会系の企業「世界統一通商産業」はオウム関連企業であり、「世界統一通商産業」の社長としてオーストリア経由で軍用ヘリを購入したりしていました。

 

ロシアとオウムの接点?

オウム真理教が設立した貿易会社「マハーポーシャ・ウクライナ」により、兵器や高度情報・通信システムなどの輸入を行いました。 早川紀代秀 熊本県波野村国土利用計画法違反事件で逮捕され、住居制限と教団関係者との接見禁止を条件に保釈されている(1992年夏に解除)。保釈中も教団幹部として数度ロシアを訪れた。度重なるロシア訪問で政府高官とパイプを築き、1994年6月1日に旧ソビエト連邦製の30人乗り大型ヘリコプター「ミル17」をロシアから購入しました。

ちなみに、村井秀夫とは・・・

村井 秀夫(むらいひでお)は、オウム真理教幹部。大阪府吹田市出身。ホーリーネームはマンジュシュリー・ミトラ、ステージは正大師。省庁制が採用された後は科学技術省大臣だった。

生年月日: 1958年12月5日
生まれ: 大阪府 吹田市

最終学歴:大阪大学

 大阪大学理学部物理学科にトップ合格しX線天文学を専攻。大阪大学大学院理学研究科修士課程修了、理学修士となりました。


【村井が消された理由.】村井秀夫の語った阪神人工地震

 

 

まとめ・・・

朝鮮半島色の強い、創価学会統一教会、そして、ロシアとの武器取引き、そこになんとなく介在する政治家、こうなると、オウム真理教は単なるテロ集団でないことがわかりますね・・・今の若い年代の方は、オウム真理教の素性を知りません。ですから、少しでも、オウム真理教という団体を知ってもらおうと、書きました。また、現在でも、オウム真理教の分派である、アレフや光の輪は現在でもその信者数を増やし、資金調達も相当な金額を達成しているようです。

 

オウム真理教は、国家権力の打倒を掲げテロ集団化し、サリンを用いて無差別大量殺人事件を引き起こしました。未だに多くの方が後遺症に悩まされています。その後遺症として、失明や目の色彩感覚が失われてしまったなどなど・・・

松本サリン事件   平成6年6月27日発生  死者8人  負傷者約140人
地下鉄サリン事件  平成7年3月20日発生  死者13人  負傷者5,800人以上