世界情勢に関心があり、自分が、重要だと感じたり、自分の意見を少しずつ、交えながら書こうと思います。

ヨーロッパ 歴史のはじまり

 

 

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文字の起源

紀元前2600年ごろ

 

すでに、線文字というものがあり、紀元前2600年ころ、エーゲ海付近のトロイアという国があり、青銅器文明があり栄えていました。

 紀元前2000年ごろ、トルコ付近のクレタ半島に、ミノア文明が興ります。

その後、アカイア人(古代のギリシャの中の一種族)が、トルコの一部地域やエーゲ海に住みます。

紀元前1500年ごろ

ミケーネ文明(青銅器文明)がペロポネソス半島(エーゲ海周辺)のミケーネ・ティリンスを中心に栄えました。


紀元前1200年ごろ

ドーリア人がアカイア人を攻撃。鉄の武器で先住民を征服しながらペロポネソス半島エーゲ海の島々に侵入し、数世紀後にはさらにアナトリア半島沿岸部やシチリア南イタリアなどの広範囲に植民しました。

その後、ミケーネ文明→「エーゲ文明のうち、ペロポネソス半島のミケーネ(ミュケナイ)を中心に栄えた青銅器文明」が崩壊します。

 

この時代には、文字の発展はほとんどありません。

 

 その後、紀元前700年前ごろに、フェニキア人との接触によって新たな文字であるギリシア文字(アルファベット)が成立しました。

 

フェニキア人とは・・・エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していた民族です。

特徴としては、ユダヤ人同様商才に長けており、前1000年以前から世界を航海し、貿易に携わっていた古代の商業民族で、もともとの肌の色は白かったそうです。

 

紀元前8世紀ころに古代ギリシア文明が出来上がりました。

 

紀元前8世紀ころに古代ギリシア文明が急速に開花し、それまで農村に住んでいた人々が城壁内に集住を行うようになって、ポリス(都市国家)が成立するようになった。ポリスは大小さまざまあるが、1500平方キロメートルから2500平方キロメートルの領土を持ち、市民と呼ばれる自由民男子とその家族数万から10万人と、奴隷など数万から10万人の人口を抱えているものが一般的であった。諸ポリスは、古代マケドニアによる覇権が確立する紀元前338年まで統一されることはなく、分立しました。アテナイコリントス、テーバイなどのポリスが出来上がりました。

 


紀元前800年末~紀元前500年末ギリシア都市国家群(ポリス)は、紀元前800年末には現在のギリシャ西南部、クレタ島を含むエーゲ海の島々、アナトリア半島の西海岸に広がっていた。紀元前750年ごろから、ギリシア人は人口の増加、交易、貴族集団同士の対立などが要因となって地中海世界全体に植民を進めた。紀元前500年末までには西から現在のスペインアンダルシア州のマイナケ、同バレンシア州のヘメロスコペウム(現在のデニア)、カタルーニャ州エンポリオン、フランスではエロー県のアガテ、ブーシュ=デュ=ローヌ県のマッシリア(マルセイユ)、ヴァール県のアテノポリス、アルプ=マリティーム県のニカイア(ニース)に広がっていました。
第二の本拠地と言えるほどの規模に達していたのはマグナ・グラエキア(イタリア南部とシチリア島)。

ペルシア戦争の状況
ペルシャのマルドニウスによる侵攻(オレンジ線、紀元前492年)

ダティスの侵攻(緑線、紀元前490年)

クセルクセス1世の侵攻(黄線、紀元前480年)

紀元前499年 ペルシア戦争 "アケメネス朝ペルシア帝国に支配下にあったミレトスなどのイオニアの諸都市が反乱を起こした。このイオニアの反乱にはアテナイおよびエレトリアの2つのポリスが援助を行ったが、ペルシアはこの反乱を即座に鎮圧すると、反乱に加担した両都市への懲罰を決定した。これがペルシア戦争である。"

アテナイとスパルタを中心とする古代ギリシアの連合軍は、20万人とも50万人とも言われるペルシャ軍を撃退する。このペルシャ戦争の過程で、アテナイが強大化してギリシアの覇権を握る。

 

紀元前5世紀中ころ~紀元前4世紀中ころ→ペロポネソス戦争やレウクトラの戦いなどポリス間の攻防が繰り返され、アテナイに代わってスパルタ、テーバイへとポリス内での覇権は移行していった。
紀元前4世紀中ころになると、北方に存在していたマケドニア王国が優勢になり、紀元前338年、カイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を破ってギリシアの覇権を握るとポリスは独自性をなくしていった。

 

ヘレニズム時代
古代マケドニア王国はピリッポス2世の暗殺の跡を継いだアレクサンドロス3世(大王)がダレイオス3世のアケメネス朝ペルシア帝国を征服してインド西北部まで侵入し、ヨーロッパ、北アフリカ西アジアに至る大帝国をうち立てた。
大王の急逝の後ディアドコイがその遺産を継承し、2世紀に渡って古代ギリシア文明と古代オリエント文明を融合したヘレニズム文明が各地に拡散して、後にギリシアを征服した古代ローマをも含めて影響を与えた。
また、7世紀以降の東ローマ帝国ではギリシア人居住地域が領土の大半を占めるようになったために、帝国の公用語ラテン語からギリシア語にかわっていき、中世末期までヘレニズム文明を受け継ぐこととなった。

古代ギリシャ文明

奴隷が家事などを行い、他国との文化の交流や科学・ギリシア哲学の発達がありました。

アリストテレス「奴隷は言葉を喋る道具であり、牛馬と同様に人間に貢献する」

また、乾燥農業(一年ごとに休閑期を挟む)などが発達しました。

オリーブやブドウなどが農作物の中心となりました。

線文字B (1956年、ヴェントリスとジョン・チャドウィック・1963年にはL・R・パーマー・1968年には大田秀通による研究が刊行されるとミケーネ文明の研究)などが発達しました。

古代のギリシャアテナイコリントス、テーバイなどの多数のポリス(都市国家)が並び立ていました。

 

政治的に独立していた各ポリス間では戦争が絶え間なく繰り返された。紀元前5世紀にアケメネス朝(ペルシア帝国)が地中海世界に進出してくると、各ポリスは同盟を結び、これに勝利した(ペルシア戦争)。

 

デロス同盟(アテナイを盟主)VSペロポネソス同盟(スパルタを盟主)

紀元前4世紀半ば・・・マケドニアのピリッポス2世がカイロネイアの戦いに勝利

ヘラス同盟(コリント同盟)マケドニアを盟主とする→ギリシャ諸ポリスの集合

ギリシャ人はアレクサンドロス3世(大王)の東方遠征に従軍して長年の宿敵ペルシア帝国を滅亡ました、


マケドニアを支配したアンティゴノス朝共和政ローマ(紀元前500年ごろから紀元前27年までの古代ローマ)が同盟を結び、マケドニアの没落後はローマと対決し、紀元前146年に敗北しました。

コリントスの破壊と共にローマ属州アカエアとされた。古代ギリシアは民主主義の原点であった。
現在のギリシャ人は後世に主にバルカン半島北部から南下してきた人々、ラテン人、スラヴ人アルバニア人等との混血、古代においては当時のオリエント世界の人々とも混血が進んでいる。現在と当時ではその人種的な構成等は異なっていると言われることもあるが、ヨーロッパにおいて古代から純粋な血統を保持している民族などというものはなく、ギリシャ人もまたその例に漏れないだけである。   WIKI まとめ

 

共和政ローマ・・・権力を握ったのは少数の貴族であり、貴族共和政といわれ、都市国家ローマでエトルリア人の王を追放し樹立した国。

ローマ市民は貴族(パトリキ)・平民(プレブス)・無産市民(プロレタリー)などの階級がありました。

エトルリア人・・・エトルリア人ラテン語: Etrusci)は、イタリア半島中部の先住民族

言語は、インド・ヨーロッパ語族に属さないエトルリア語を使用していました。

初期のローマ人はエトルリアの高度な文化を模倣したとされいます。