世界情勢に関心があり、自分が、重要だと感じたり、自分の意見を少しずつ、混じえながら書こうと思います。

胡散臭い 文在寅(ムン・ジェイン)

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韓国大統領の文在寅(ムン・ジェイン)문재인

生年月日・・・1953年1月24日韓国の政治家、弁護士、市民活動家。第19代大統領。

学歴 1972年慶煕大学校法科大学(法学部)法学科に入学。

その後、慶煕大学声楽科の学生・金正淑(1954年11月15日生まれ)2学年後輩であり、現在の妻と出会います。

その後、朴正煕政権に反対する民主化デモに参加して、朴政権側が放った催涙ガスの直撃を受けた際に金が看病したことがきっかけで仲が深まりました。

1975年・・・朴政権に反対する民主化運動に係わった容疑で逮捕され、ソウル市の西大門刑務所に収監されました

1976年~1978年兵役・・・特戦司令部第1空挺旅団に配属された。爆破任務を担いました。

1978年・・・第22回司法試験に合格しました。

金正淑(キム・ジョンスク)

 

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朴正煕(パク・チョンヒ/ぼく・せいき)(任期:1963年~1979年)

親米反共を唱え、軍事的圧力により、民衆を弾圧しました。不思議なことに、兄は、共産主義者で、1946年に射殺されました。また、日本の陸軍士官学校に留学の経験があります。

 

朴正煕の政権に対して、デモを起こしてたというから、文在寅(ムン・ジェイン)はイメージ的にリベラリズムだと思っていましたが、実際のところ胡散臭いです。また、北朝鮮のスパイの噂もあり、"新北"な外交をやるのかと思えば、現在のところ、アメリカのいいなりです。

 また、日本に対しても、国内では、ドイツとギリシャの関係を例にとり、補償を賠償と言い換え、日本に請求すると言っていますが、文在寅(ムン・ジェイン)に、日本企業の差し押さえの権利もなく、また、日本に対して、韓国内での発言とは裏腹に「過去の歴史が日韓関係の発展の障害になってはいけない」と言い、なんとも責任感のない発言です。

"金" 争奪戦

                                                                       GOLD

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韓国統計庁が発表した「北朝鮮の主要統計指標」によると、2008年時点で北朝鮮の地下鉱物資源は総額で6兆4000億ドル。内訳は黄金2000トン、鉄5000億トン、マグネサイト60億トン、無煙炭45万トン、銅290万トン

 

 

             

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北朝鮮の実際の資源量です。まだほかにも、たくさんの資源が眠っているかもしれません。

 

 

 

 

 

 ドナルド・トランプ大統領・・・

 

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【ワシントン=黒見周平】トランプ米大統領は10日(米東部時間)、北朝鮮が米領グアム周辺海域への弾道ミサイル発射を計画していることについて、「グアムで何かしたら、これまで誰も見たことのないような出来事が北朝鮮で起きる」と強く警告し、軍事的な報復の可能性も示唆した。

 滞在先の東部ニュージャージー州で記者団に語った。

 8日(同)に北朝鮮に対し、「炎と怒りに直面する」と自らが述べたことについては、「生ぬるすぎるぐらいだった」と述べた。「炎と怒り」発言を巡っては、米国内で米朝間の軍事的緊張をいたずらに高めたとの批判が出ているが、それに反論した形だ。

 トランプ氏は報復の具体的な中身の説明は避けたが、「北朝鮮は世界のどの国も経験したことがないような窮地に陥る」と指摘。北朝鮮が新たな挑発行為に出た場合、大きな代償を払うことになるとの認識を重ねて示した。ドナルド・トランプ米大統領は10日、北朝鮮が先に発表した米領グアム沖に新型中距離弾道ミサイルを発射する計画について、米国に何かしようとするなら「とても、とても不安を感じる」べきだと述べた。休暇先の米ニュージャージー州で記者団の質問に答えた。

 

 そして、現在のアメリカでは、北朝鮮とアメリカの戦争を考慮してからか、"金"の奪い合いが始まっています。その結果、"金の高騰"が続いております。世界的に金地金を保有する動きが強まり、世界中の投資マネーが金を求めて市場に流入しているのです。1990年台は下降トレンドが続き、マイナス資産となっていただけに、この10年で、急激な高騰を続けています。1980年代には、ピークの7000円近くまで"金"の値段が上がりましたが、現在も5000円ほどまで上昇しています。ちなみに、"金"の価値が最も下落した時の価格は、800円台まで落ち込みました。そう考えると、いかに、アメリカ国民が戦争による金融不安を抱えているか理解できると思います。そして、今回の北朝鮮への軍事オプションも、そういった"金"をはじめとした資源が関係しているのかもしれません。

緊張状態が続く 朝鮮半島

 アメリカのドナルド・トランプ大統領と北朝鮮の元首・金正恩(キム・ジョンウン)舌戦が終わったかともえば、8月21日の今日から、米韓合同軍事演習が始まります。また、トランプ大統領の中国に対する要望もあり、北朝鮮に対する、経済制裁もより厳しくなっています。

北朝鮮に対する国連安全保障理事会の新たな制裁決議を受けて、中国政府が北朝鮮からの海産物などの禁輸を始めたことから、中朝国境の税関では海産物を載せたトラックが通過できずに立往生するなど影響が出始めていて、制裁の着実な履行を強調する中国の立場をうかがわせています。
国連安全保障理事会は今月5日、北朝鮮に対する新たな制裁決議を全会一致で採択し、中国政府は制裁対象となった北朝鮮からの海産物などの輸入を今月15日から全面的に禁止すると発表しました。

NHK "中朝貿易の関係者によりますと、北朝鮮からの海産物の輸入ルートとして知られる吉林省琿春の税関では海産物を載せて中国に戻ろうとしていたトラックが通関できなくなり、今月15日以降、税関につながる国境の川にかかる橋の上で立往生するなど影響が出始めているということです。

中国のインターネット上では、立往生しているとされるトラックの車列の映像や税関近くで「中国政府に損失の回復を望む」などと書かれた横断幕を掲げた貿易関係者と見られる写真が投稿されています。

中国の貿易関係者の1人はNHKの取材に対し「突然、海産物が輸入できなくなり、損害は多額だ。今後の事業は見通せない」と話しています。

中朝国境の状況は国内の業者に一定の影響が予想される中でも、制裁の着実な履行を強調する中国政府の立場をうかがわせています。"

 しかし、これが同時に、金正恩の核攻撃に踏み切らせてしまう可能性も高まります。

 

 

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 吉林省(きつりんしょう)琿春市(こんしゅん-し)

国境開放都市に指定されている。人口の40%以上を朝鮮族が占める。WIKI

 

米韓合同軍事演習は、 戦略爆撃機「B-1B」は投入するかどうかが、焦点になります。

 戦略爆撃機「B-1B」を投入することにより、金正恩が、アメリカが、朝鮮半島に武力攻撃を仕掛ける可能性を考えるからです。

 

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とにかく、大切なのは、北朝鮮建国記念日の9月9日まで、緊張状態が続くということです。

 

 

 

 

ロシアの謎

 とにかく、最近ロシアの動きがあやしい、北朝鮮のミサイルの脅威を考えて、アメリカが、迎撃ミサイルの配備を日本・韓国・グアム・ハワイ周辺に強化しようとしていると同時に、北方領土で軍事演習の計画を発表しました。ロシア側としては、北朝鮮の脅威をいいことに、アメリカが、ロシア軍に対する威圧的な行為をしているのでは?といった疑問が残るようです。

 

ロシア軍東部軍管区は10日、北方領土で千人以上の兵士が参加した軍事演習を開始したと発表した。インタファクス通信が伝えた。択捉島国後島の演習場で実施しているもよう。若手司令官の教育を主目的とし、部隊間協力や戦闘訓練に重点が置かれているほか、化学兵器生物兵器などの攻撃に対する防御訓練なども実施するという。(モスクワ 黒川信雄)産経ニュース

 

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東ローマ帝国と西ローマ帝国

西ヨーロッパのキリスト教の浸透
帝政初期に帝国領内のユダヤ属州で生まれたイエス・キリストの創始したキリスト教は、徐々に信徒数を増やしてゆき、2世紀末には帝国全土に教線を拡大していた。ディオクレティアヌス退位後に起こった内戦を収拾して後に単独の皇帝となるコンスタンティヌス1世(大帝。在位:副帝306年-、正帝324年-337年)は、当時の東帝リキニウスと共同で、313年にミラノ勅令を公布してキリスト教を公認した。その後もキリスト教の影響力は増大を続け、ユリアヌス帝による異教復興などの揺り戻しはあったものの、後のテオドシウス1世(在位:379年-395年)のときには国教に定められ、異教は禁止されることになった(392年)。394年には、かつてローマの永続と安定の象徴とされ、フォロ・ロマーノにありローマの建国期より火を絶やすことのなかったウェスタ神殿のウェスタの聖なる炎も消された。

ウェスタ神殿

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395年、テオドシウス1世は死に際して帝国を東西に分け、長男アルカディウスに東を、次男ホノリウスに西を与えて分治させた。これ以後帝国の東西領域は再統一されることはありませんでした。

 

西ローマ帝国

ゲルマン人の侵入を止めることができなかった。


西ローマ帝国
ディオクレティアヌス帝以降、皇帝の所在地としての首都はローマからミラノ、後にラヴェンナに移っていた。

 西ローマ帝国ゲルマン人の侵入に耐え切れず、しまいには、476年ゲルマン人傭兵隊長オドアケルによってロムルス・アウグストゥルス(在位:476年)が廃位され滅亡したことをきっかけに、486年ゲルマン系新興国メロヴィング朝フランク王国のクロヴィス1世などが、西ローマ帝国の地方長官をつとめ、西ローマを統治しました。

東ローマ帝国(395年-1453年)は、首都をコンスタンティノポリスとし、15世紀まで続いた。中世の東ローマ帝国は、後世ビザンツ帝国あるいはビザンティン帝国と呼ばれるが、正式な国号は「ローマ帝国」のままであった。この国は古代末期のローマ帝国の体制を受け継いでいたが、完全なキリスト教国であり、また徐々にギリシア的性格を強めていった。
東ローマ帝国は、軍事力と経済力を高めてゲルマン人の侵入を最小限に食い止め、またいくつかの部族に対して西へ行くよう計らった。西ローマの消滅後は唯一のローマ帝国政府として、名目上では全ローマ帝国統治権を持った。

 帝国の再建が何度があった。5世紀のレオ1世・12世紀のマヌエル1世・6世紀のユスティニアヌス1世

その後、ユスティニアヌス没後は混乱と縮小の時代に入り、7〜8世紀にかけイスラム帝国スラヴ人などの侵入により領土が大幅に縮小した。

 その結果、テマと呼ばれる軍閥

      公用語ギリシャ語化(7世紀)

      一連の出来事は帝国の性格を変化させ、ヘレニズムとローマ法、正教会を基盤とした新たな「ビザンツ文明」とも呼べる段階に移行しました。


9〜10世紀頃には安定期に入り、再び積極的な対外行動をとる。帝国の領土は再び拡大し、11世紀初頭にはバルカン半島アナトリア半島の全域、南イタリア、シリア北部等を領有した。しかし、その後はイスラムや西欧に対して劣勢になり、13世紀に十字軍により首都コンスタンティノポリスを占領された。13世紀末にコンスタンティノポリスを取り戻すも、以後は内乱の頻発もあり、オスマン帝国等に領土を侵食されていった。
滅亡
1453年4月、オスマン帝国の軍がコンスタンティノポリスを攻撃。2ヶ月にも及ぶ包囲戦の末、5月29日城壁が突破されコンスタンティノポリスは陥落した。最後の皇帝コンスタンティノス11世は戦死し、東ローマ帝国は滅亡した。残存するモレアス専制公領やトレビゾンド帝国も1461年までには掃討された。

 

 

ローマ帝国

ローマ帝国・・・紀元前8世紀中ごろにイタリア半島を南下したラテン人の一派がティベリス川(現:テヴェレ川)のほとりに形成した都市国家ローマであります。

ラテン人・・・ギリシア人と同時期に、イタリア中部に南下したイタリック語派に属する古代民族です。

 ローマの歴史、・・・当初は、エルトリア人の王などがいたが、紀元前509年に7代目の王であったタルクィニウス・スペルブスを追放してから、パトリキ(貴族)による、共和政が布かれました。その後、クァエストル(財務官)などが、圧倒的な権力を一極集中させたが、しだいに、プレブス(平民)の反発を喰らい、十二表法やリキニウス・セクスティウス法の制定により対立は緩和されていき、紀元前287年のホルテンシウス法制定によって身分闘争には終止符が打たれました。

十二表法・・・紀元前451年、古代ローマで慣習法を初めて成文法にしたもの

リキニウス・セクスティウス法・・・古代ローマの法律

ホルテンシウス法・・・平民会の決議は元老院の承認が無くとも、ローマの国法とされるという法律

共和政政治・・・国のリーダーや王が決定権をもっておらず、政府などが権力を持ち政治を行うことです。



都市国家ローマは次第に力をつけ、中小独立自営農民を基盤とする重装歩兵部隊を中核とした市民軍で紀元前272年にはイタリア半島の諸都市国家を統一、さらに地中海に覇権を伸ばして広大な領域を支配するようになった。紀元前1世紀にはローマ市民権ができあがり、ローマ帝国ができあがりました。

 

その後、紀元前世紀から、2世紀にまでにポエニ戦争が3回おこり、そのことが原因で貧困格差ができあがり、イタリア半島では兵役や戦禍により農村が荒廃し、反面貴族や騎士階級ら富裕層の収入は増大、貧富の格差は拡大し、それと並行して元老院や民会では汚職や暴力が横行、やがて「内乱の一世紀」と呼ばれた時代になるとマリウスなど一部の者は、武力を用いて政争の解決を図るようになりました。

 その結果、共和制は徐々に崩壊していきました。
ポエニ戦争は主に、フェニキア人の住んでいたカルタゴとローマの間の地中海の覇権争いのことです。

 

 

 

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フェニキア人=カナン人であり、カナンはイスラエル人到来前には民族的に多様な土地であり、「申命記」によれば、カナン人とはイスラエル人に追い払われる7つの民の1つであり、イスラエル人と混住し通婚した。ヘブライ語カナン人から学んだものです。ちなみにフェニキア人の居住地は、地中海や死海ヨルダン川・シリア・イスラエルの近くでした。

 

紀元前44年にカエサルが暗殺された後、共和主義者の打倒で協力したオクタウィアヌスマルクス・アントニウスが覇権を争い、これに勝利を収めたオクタウィアヌスが紀元前27年に共和制の復活を声明し、帝政が復活しました。


その後、アウグストゥスの皇帝就任とユリウス・クラウディウス家の世襲で始まったローマ帝政だが、ティベリウスの死後あたりから、政治・軍事の両面で徐々に変化が起こりました。世襲制に対する、反乱がおこりはじめ、ヨルダン川などから、カリグラやネなどの皇帝がその一例です。

 その結果、結果、ユリウス・クラウディウス朝からフラウィウス朝の僅か100年の間に、3名の皇帝が軍隊によって殺害され、2名が自殺に追い込まれ、不自然な形での皇帝の交代が頻発するようになりました。

 
43年にはクラウディウス帝によってグレートブリテン島南部が占領されて属州ブリタンニアが創設されるなどしました。

グレートブリテン島南部・・・アフリカ大陸とイギリス・西ヨーロッパの南部あたり・・・

 

初代皇帝アウグストゥスの時代に常備軍の創設や補助兵制度の正式化、通貨制度の整備、ローマ市の改造や属州制度の改革(元老院属州と皇帝属州の創設)などを行い、帝国の基盤が整えられました。

 

 その後、

14年~70年アウグストゥスが没→だティベリウス→カリグラ→クラウディウス→ネロ→四皇帝(皇位継承戦争が発生した。4人の皇帝が次々と擁立されたことから、この時期を四皇帝の年とも呼ぶ。)→ユダヤ人の東方の反乱→ウェスパシアヌス


ドミティアヌスが暗殺されたのち、紀元1世紀の末から2世紀にかけて即位した5人の皇帝の時代にローマ帝国は最盛期を迎えた。この5人の皇帝を五賢帝という。
ネルウァからコンモドゥスまでの7人の皇帝の時代を、ネルウァ=アントニヌス朝とも呼ぶ。
またこの時代には、法律(ローマ法)、交通路、度量衡、幣制などの整備・統一が行われ、領内には軍事的安定状態が保たれていたと思われるが、地中海の海上流通は減退が見られ軍隊の移動も専ら陸路をとるようになる時期だった。また軍隊と繋がる大土地所有者が力を持ち、自由農民がローマ伝統の重税を避けて逃げ込むケースが増え、自給自足的な共同体が増加した時期でもある。

 

96年 - 98年 ネルウァ
元老院から選出される。後継者にトラヤヌスを指名した。
98年 - 117年 トラヤヌス
「至高の皇帝」。最大領土を現出。ダキア、アラビア、アルメニアメソポタミアアッシリアを占領して属州を置き、帝国領土は東はメソポタミア、西はイベリア半島、南はエジプト、北はブリテン島にまでおよんだ。
117年 - 138年 ハドリアヌス
パルティアと和平してアルメニアメソポタミアアッシリアから撤退し、東方国境を安定させる。全属州を視察。内政の整備と、ブリタンニアハドリアヌスの長城に代表される防衛体制の確立に努めた。
138年 - 161年 アントニヌス・ピウス
内政の改革や財政の健全化に努めた。
161年 - 180年 マルクス・アウレリウス・アントニヌス
「哲人皇帝」。ストア哲学を熱心に学んだ。晩年は各地の反乱や災害やゲルマン人ら異民族の侵入に悩まされ、各地を転戦、陣中で没した。
161年 - 169年 ルキウス・ウェルス
マルクス・アウレリウスと共同皇帝、パルティア戦争に従事。その後の蛮族の侵攻の最中に食中毒で病死。
180年 - 192年 コンモドゥス
マルクス・アウレリウスの嫡子、ローマ帝国で二例目の直系継承を果たしたが悪政の末に暗殺されネルウァ=アントニヌス朝は断絶した。

 

 


マルクス・アウレリウス・アントニヌス→実子コンモドゥス帝(192年に暗殺)→、193年には5人の皇帝が乱立し、五皇帝の年と呼ばれる混乱が起きた。この内戦を制したセプティミウス・セウェルスによって193年にセウェルス朝が開かれた。セウェルス朝は軍事力をバックに成立し、当初から軍事色の強い政権であった。

 

212年、カラカラ帝の「アントニヌス勅令」によって、ローマの支配下にあるすべての地域に、同等の市民権が与えられた。これによって厳しい階級社会だったローマ社会における、非ローマ市民の著しい不平等(裁判権の不在、収穫量の1/3に上乗せされる1/10の属州税など)は多少なりとも緩和されたが、これによってローマ市民権の価値が崩壊し、政治バランスが激変して、以後長く続く混乱の一因となった。また、それまで属州出身の補助兵は25年勤め上げるとローマ市民権を得ることができたために精強な補助兵が大量に供給されてきたが、市民権に価値がなくなったために帝国内の補助兵のなり手が急減し、さらに不足した兵力はゲルマン人などの周辺の民族から補充されたため、軍事力の衰退を招いた
235年、アレクサンデル・セウェルス帝が軍の反乱によって殺害されたことでセウェルス朝は断絶し、以後ローマ帝国は軍人皇帝時代と呼ばれる混乱期に突入していく。


パクス・ロマーナ(ローマの平和)により、戦争奴隷の供給が減少して労働力が不足し始め、代わりにコロヌス(土地の移動の自由のない農民。家族を持つことができる。貢納義務を負う)が急激に増加した。この労働力を使った小作制のコロナートゥスが発展し始めると、人々の移動が減り、商業が衰退し、地方の離心が促進された。
284年に最後の軍人皇帝となったディオクレティアヌス(在位:284年-305年)は混乱を収拾すべく、帝権を強化した。元首政と呼ばれる、言わば終身大統領のような存在の皇帝を据えたキメの粗い緩やかな支配から、オリエントのような官僚制を主とする緻密な統治を行い専制君主たる皇帝を据える体制にしたのである。これ以降の帝政を、それまでのプリンキパトゥス(元首政)に対して「ドミナートゥス(専制君主制)」と呼ぶ。またテトラルキア(四分割統治)を導入した。四分割統治は、二人の正帝(アウグストゥス)と副帝(カエサル)によって行われ、ディオクレティアヌス自身は東の正帝に就いた。強大な複数の外敵に面した結果、皇帝以外の将軍の指揮する大きな軍団が必要とされたが、軍団はしばしば中央政府に反乱を起こした。テトラルキアは皇帝の数を増やすことでこの問題を解決し、帝国は一時安定を取り戻した。
ディオクレティアヌスは税収の安定と離農や逃亡を阻止すべく、大幅に法を改訂、市民の身分を固定し職業選択の自由は廃止され、彼の下でローマは古代から中世に向けて、外面でも内面でも大きな変化を開始する。
ディオクレティアヌスが305年に引退した後、テトラルキアは急速に崩壊していった。混乱が続く中、西方副帝だったコンスタンティヌス1世が有力となり、324年には唯一の皇帝となった。コンスタンティヌス1世専制君主制の確立につとめる一方、東のサーサーン朝ペルシアの攻撃に備えるため、330年に交易ルートの要衝ビュザンティオン(ビザンティウム。現在のトルコ領イスタンブール)に遷都して国の立て直しを図った。この街はコンスタンティヌス帝の死後にコンスタンティノポリス(コンスタンティヌスの街)と改名した。コンスタンティヌスの死後、北方のゲルマン人の侵入は激化、特に375年以降のゲルマン民族の大移動が帝国を揺さ振ることとなった。378年には皇帝ウァレンスがハドリアノポリスの戦い(ゴート戦争)でゴート族に敗死した。

 

 

キリスト教の浸透 
帝政初期に帝国領内のユダヤ属州で生まれたイエス・キリストの創始したキリスト教は、徐々に信徒数を増やしてゆき、2世紀末には帝国全土に教線を拡大していた。ディオクレティアヌス退位後に起こった内戦を収拾して後に単独の皇帝となるコンスタンティヌス1世(大帝。在位:副帝306年-、正帝324年-337年)は、当時の東帝リキニウスと共同で、313年にミラノ勅令を公布してキリスト教を公認した。その後もキリスト教の影響力は増大を続け、ユリアヌス帝による異教復興などの揺り戻しはあったものの、後のテオドシウス1世(在位:379年-395年)のときには国教に定められ、異教は禁止されることになった(392年)。394年には、かつてローマの永続と安定の象徴とされ、フォロ・ロマーノにありローマの建国期より火を絶やすことのなかったウェスタ神殿のウェスタの聖なる炎も消された。WIKI参照

確信しました。避けられない、米朝戦争 

 はっきり申し上げると、99%以上、アメリカと北朝鮮は軍事オプションを起こす可能性があります。

 そこで、日本が北朝鮮がミサイルを撃つ可能性を考えていきたい思います。

NHKの社員、池上彰さんは、「日本に北朝鮮からのミサイルが飛んでくる可能性は低いと」いった、発言をしていましたが、私はそうは思いません。

 北朝鮮は、ほぼ、金正恩(キム・ジョンウン)体制は崩壊しており、北朝鮮国民は違法薬物・売春が日常茶飯事化しており、脱北したい人は山ほどおります。また、軍も金正恩を信用しておらず、金正恩北朝鮮国民の求心力はほとんどないと言っても過言ではありません。

 だからこそ、捨て鉢になり、日本や韓国・アメリカに、見境なく攻撃する可能性があります。また、現在の北朝鮮のミサイルは多弾頭式ミサイルなので、迎撃ミサイルで確実に落とすことはできません。

 多弾頭式ミサイル・・・着弾するまでに、いくつかに分裂し攻撃するもので、もしミサイルが迎撃されれば、内蔵されているもうひとつのミサイルが顔を出すというものです。現在、北朝鮮は2~3段式ですが、ロシアは21段式です。

間違いなく、在日米軍基地をねらうことは明白ですが。やはり、首都をはじめ、人工密集地帯を狙うと思います。

 

東京・神奈川・大阪・名古屋などが真っ先に候補として挙げられます。

そのほか、京都や、福井県など、原発や歴史的仏像や寺に対して、テロ行為を行う可能性があります。

 

 

 

産経新聞より抜粋 :在日米軍基地の位置

 

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防衛省HPより :在日米軍基地の位置

 

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正直、核弾頭を搭載した、ミサイルのですので、メディアでは、地下に逃げろとか伏せろなど言っていますが、第二次世界大戦の状況を聞けば、そのような工夫が、どこまで役に立つか不明です。

 個人的に風呂の浴槽は、比較的安全だと思います。しかしながら、家の外周部は燃え尽きる可能性があります。とにかく、核弾頭は、核弾頭の閃光を見ないことが大切です。